[厚沢部ちょっと暮らしの画像]
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 厚沢部町 概要
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[厚沢部ちょっと暮らしの画像] 基本データ 面積:460.42km²
人口:4,705人(2008年12月)
人口密度:10.2人/km²
町の木:クロマツ
町の花:ツツジ
厚沢部町役場所在地
〒043-1113
北海道檜山郡厚沢部町新町207番地

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[厚沢部ちょっと暮らしの画像] 気 候 年間通して湿度が低く四季がはっきりとしている。暑さ寒さも適度で極端に暑くなったり寒くなることは少ない。北海道でも南に位置するために極寒という印象ではなく、自然を楽しみながら生活できる気候条件。 [厚沢部ちょっと暮らしの画像]
年平均気温8℃ 最高月平均気温25℃
最低月平均気温-5℃ 年間降水日数70日
年間降水量1625mm 最大積雪深58cm
年間積雪日数55日 最高標高692m
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[厚沢部ちょっと暮らしの画像] 町名由来 厚沢部町(あっさぶちょう)は、北海道南西部、檜山支庁南東部にある農林業を主幹産業とする町。地名の由来はアイヌ語のであるが、「アッ・サム(楡皮・のそば)」「ハッチャム・ベツ(桜鳥・川)」といった諸説がある。
※Wikipediaより
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[厚沢部ちょっと暮らしの画像] 沿 革 古くは松前藩の所領。1678年(延宝6年)同藩のヒノキ山開放により、この伐採のため本州から杣夫(そまふ)が渡来した。農業を副業として定着し、各河川流域の開墾が始められた。

1869年(明治2年)榎本武揚率いる幕府軍の攻撃を受け、一時支配下に置かれたが、松前藩は館城(現在の城丘)を根拠にすぐに反撃に転じた。松前回復後も松前藩は館城を拠点として「館藩」と名乗り、1871年(明治4年)の廃藩置県の際には青森県に属した。

1872年(明治5年)北海道開拓使の管轄となり、1876年(明治9年)俄虫村戸長役場を設置。 1906年(明治39年)4月に二級町村制を施行し、村名を厚沢部村とした。 1960年(昭和35年)字名地番改正、1963年(昭和38年)3月に町政施行し現在に至る。
※Wikipediaより
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[厚沢部ちょっと暮らしの画像] 経 済
基幹産業農業・林業
立地企業札幌酒精工業株式会社厚沢部工場
農協新函館農業協同組合(JA新はこだて)厚沢部支店・鶉支店・館支店
金融機関江差信用金庫厚沢部支店
郵便局 厚沢部郵便局(日本郵便江差支店厚沢部集配センター併設)
館郵便局(日本郵便江差支店館集配センター併設)
鶉郵便局
※Wikipediaより
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[厚沢部ちょっと暮らしの画像] 文化財等
史跡松前氏城跡 館城跡
天然記念物鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯
厚沢部町指定無形民俗文化財 安野呂鹿子舞 - 滝野鹿子舞保存会
上俄虫鹿子舞 - 上里獅子舞保存会
土橋鹿子舞 - 富栄鹿子舞保存会
当路鹿子舞 - 当路鹿子舞保存会
名所 土橋自然観察教育林
太鼓山展望台
松前氏城跡館城跡
五葉松自生北限の地(天然記念物)
鶉ダムオートキャンプ場(ハチャムの森)
※Wikipediaより
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